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shogaisha. 百科事典とぼやきのホームページ

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しょうがいしゃ.

何が障害者を障害者としているのか

 「障害しょうがい者しゃ」という言葉ことばは、一いち本ほんの線せんで引けるひけるほど単純たんじゅんではない。

 手帳てちょうがあるかどうか、医師いしに診断しんだんされたかどうか、自分じぶんでそう思っおもっているかどうか——どれも「障害しょうがい者しゃかどうか」を決めるきめる基準きじゅんになりうるが、どれかひとつが正解せいかいというわけでもない。

 体たいや心こころの状態じょうたいは、障害しょうがいあり・なしと綺麗きれいに分かれるわかれるものではなく、グラデーションで続いつづいている。

 外見がいけんからわからない障害しょうがいもあるし、社会しゃかいの側がわが変われかわれば「障害しょうがい」にならずに済むすむこともある。

 誰だれでも、いつかは何らかのなんらかの障害しょうがいを持つもつ可能かのう性せいがある。

 定義ていぎは時代じだいによって変わっかわってきたし、これからも変わりかわりうる。かつては「障害しょうがい」とされていたものが、今いまはそう呼ばよばれなくなった例れいもある。「障害しょうがい者しゃとは何なにか」という問いといに、まだひとつの答えこたえはない。

合理ごうり的てき配慮はいりょがあれば十分じゅうぶんに働けるはたらける人ひとも多いおおいのに、なぜ「障害しょうがい者しゃ枠わく」に限定げんていして考えかんがえられてしまうのだろう、と感じるかんじる。

— 名無し
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